「 縁(えにし)に導かれて 」

 先日、座右の銘を突然聞かれ、はたと困りながら出た言葉が「縁を大事にする」というこ
とでした。考えてみれば座右の銘を聞かれ、それに答える自分が、今、此処にいるという
こと自体も、縁によってあるわけで、両親を介して命を受けたこともなんら意図的なものも
なく、縁によって導かれ、その上、どういうご縁か、お寺という環境の中に生まれ、法縁の
中で育てられ、多くの檀信徒の皆様のご縁に支えられながら住職となり、現在に至って、
今の自分がいるわけです。
まるでお数珠のように縁が巡って繋がって、また新たな縁を引き寄せているという思いが
しています。

「お寺に生まれたことに反発はなかったのですか?」ということも時々聞かれましたが、
何故か今迄、一度も嫌だとか、他の世界を求めようとは思ったことがないのです。でも考え
てみればなんの反発も感じなかったというのも、私の生まれ育った環境の素晴らしさ、多く
の方々との出会いのご縁を頂いたことが、私の生き方を方向づけてくれたのだと感謝して
おります。

 考えてみると、どなたもこうした「縁」というものが、私たちの生きる方向、生き方を示して
くれているわけです。
しかしそれに気が付かない間は、失敗し寄り道をすることもあるでしょうが、その失敗が私
たちに反省するという縁に出会わせてくれ、新たな縁へと結び付けてくれるのです。けれ
どもボヤッと待つのではなく、絶えず前を向いて努力を積み重ねていくことをしなければ、
良い縁はこちらを振り向いてくれませんし、縁に気付くこともないでしょう。
良い指導者、良い友、良い仲間に出会う為には自分がそれにふさわしい人となるよう、縁
に感謝する深い眼差しを持ちながら努力を続けていかなければならないのです。

 お釈迦さまは「煩悩は、そのまま悟りに通じる」と教えられました。迷いや欲がそのまま
悟りというわけではなく、迷いや欲を取り除いていく努力が、悟りへの歩みに通じていくも
のだということです。
渋柿も陽と出会う縁に依って甘柿になっていくように、渋みが多ければ多い程、甘みが強
くなると聞いたことがあります。どんなことに出会っても、そこから逃げないで、受け止め、
生きていく努力をする中で、自ずと解決の糸口が見えてくる縁が現れてくるのだと思いま
す。良い縁が頂ける自分自身になるように自分磨きをすることが肝心です。
人生には、棚からぼた餅ということはなく、己の人格以上の縁は得られないものではない
かと私は思います。
                                                 合掌


 
 
 
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